まどんなの考える“人生”とは

赤星 芳の考える“人生”とは

Vie(ヴィ)のカウンセラー、赤星 芳(Akahoshi Kaori)。
私は今までの人生の中で様々な経験をしてきました。

バスガイド、トップ営業マン、人材育成、さらには夜の世界の泡姫など様々な業種を経験してきたため、ビジネスの面にも精通しており、中でも交渉術には長けていると自負しています。また、出産や育児も経験しているため、どのような種類のお悩みにも寄り添うことができます。

人生は、長いようで一瞬です。だからこそ、思い悩むことを誰かに打ち明けて、少しでも心が軽くなればと思っています。
今現在どんな辛いことがあったとしても、過去に経験していたとしてもそれらの経験は“この瞬間を生きる自分自身”の弱さにも強さにもなります。

私は前途、経験は“弱さになる”と述べました。
では“弱いこと”=ダメなこと、変えなければいけないことなのでしょうか?
その答えは、Noだと当相談室では考えています。

あなたが、どんな時でも自分自身を大切にできるようにぜひ当相談室を “駆け込み寺”としてほしい。
だからこそ、まずは私の人生について少しお話しをさせてください。

人生は、長いようで一瞬です。だからこそ、思い悩むことを誰かに打ち明けて、少しでも心が軽くなればと思っています。
今現在どんな辛いことがあったとしても、過去に経験していたとしてもそれらの経験は“この瞬間を生きる自分自身”の弱さにも強さにもなります。

私は前途、経験は“弱さになる”と述べました。
では“弱いこと”=ダメなこと、変えなければいけないことなのでしょうか?その答えは、Noだと当相談室では考えています。

あなたが、どんな時でも自分自身を大切にできるようにぜひ当相談室を “駆け込み寺”としてほしい。
だからこそ、まずは私の人生について少しお話しをさせてください。

私の人生の出来事

第一章:生まれてから成人するまで

私は自衛官の父と専業主婦の母との間に長女として産まれました。弟は2人です。
父はお酒を飲んでない時は普通のカッコいい父でしたが、お酒が入ると人格が変わる恐ろしい人でした。安岡力也にそっくりで、柔道家でもあり怒るとただひたすら怖い人でした。九州の方を批判するわけではないのですが、イメージしやすい言葉でいうのなら、やはりThe九州男児です。お酒が入るとDVを繰り返す、何度も襖の向こう側で母が殴られていた音を聞きました。
私達にも首を絞める、天井から吊るす、正座をさせ銛で刺そうとする、包丁を持ち出し脅す、柔道の技で殺されそうになった事も。
夜中、外に母と弟と逃げ出して朝を迎える事も多かったです。
『助けてください!!』とお向かいさんのドアを何度も叩いた事もあります。
ギャンブル癖も酷く、自衛官なのである程度はお金があるはずなのに母には生活費しか渡さず団地のお二階さんに私たちの習い事の月謝代を借りに行くのも子供ながらに見ていました。
父が柔道をやっていたせいか習い後はさせてくれていました。私は陸上、剣道、弟2人は空手、柔道。なので武道一家で礼儀はとにかくうるさい家でしたね。

私は中学では生徒会を2年、それから副会長もしました。中学校は逃げ場の様で楽しかったです。
高校では女子が多かったので、女子特有の『無視』にもあっています。楽しくなかったなぁ。
なので高校時代は学校にいるよりもアルバイトをしていたイメージがあります。
援助交際も流行りましたね。
それで高校の必要なお金、定期代、弟におこづかいをあげたり。
親にはお小遣いが欲しいなんて言えませんでした。

高校卒業のころ本当は専門学校に行きたかったのですが、
そんなお金があるはずもなくバスガイドとして就職。弟達もすぐに家を出ました。
バスガイドの時代は、人気バスガイドとして多くの方から沢山の愛を受け取りました。
しかし相変わらず父はDVを繰り返すので母から『助けてー!』と連絡があり私の家に寝泊まりさせていました。
100万回くらい『俺のご飯は誰が作るんだ!!帰ってこい!!』と着信。

私の人生の出来事

第二章:20~30代

それから私はバスガイドから営業職に転身しました。
話す事が好きなので営業は苦になったことがありません。どんどん契約が決まります。
法人向け電話器販売、学習塾の営業、携帯ショップの店長、日通、高級ハンドバッグの営業、エステの営業どれも楽しくて、結果売り上げNo.1でした。

しかしそんな華やかな社会人生活の裏、私の脳内では、あんな父にすがって生きている母を見て、男の収入をあてにして生きる女にはなりたくないと常に「男に負けない精神」で楽しみながらも過去の怒りや不安などあらゆる感情を糧にしいてとにかく頑張り、走り続けました。

そんなある時、父が冷蔵庫にファミコンを入れたり、野菜室の1番奥底にカレー鍋を隠したりと不思議な行動をとるようになりました。
勿論本人は知りません。
その頃の父は自衛官は退官し、リムジンの運転手をしていました。
これは痴呆かなと疑いましたが、当たり前の様に『俺は違う』、、ですよね?
会社に伝えようかと迷いました。解雇されるかもと。
そのうち道を間違える様になってきたらしく連絡が入り、事務作業に回され、父は運動馬鹿だったのでPCが全く分からず毎日の様に『会社に行きたくない』と寝言で言っていました。
昔の人は『休む』をしないですね、自衛官だったので特に。

行動などが心配になり嘘をつきまくって病院に連れて行きました。
若年性アルツハイマーでした。
医師には「残り生きられて14年(寿命)くらい」と言われました。
結局、医師の宣告通り14年で亡くなりました。
振り返ってみると本当に大変でした。母は車を持っていないので父の面倒は全て私がやりました。
母は父を恨んでいたので一切の事をしませんでした。
私は当時離婚したばかり。遠方にいる弟達には背負わせたくなく、父が1人で隠れて作っていた闇金1500万円の借金を背負いました。
退職金も前借りし、殆ど手元に残ったお金はありませんでした。
家を売り払い、自己破産手続きをしました。父のために小さなアパートを借りましたが全部私の支払いです。
2回も引っ越しをして、よくやったよなぁ当時、と今でも思います。

お金に困ってる訳でなかったのですが、風俗業に間違って入ってしまい、
『どんな仕事でも3ヶ月は頑張ってみよう!』の精神でスタート。それが結局4年になったんですがNo.1プレミア嬢として他県にも遠征に行ったり、ファンクラブが出来たり全国から会いに来てくれて(殆ど偉い人)色んな話をしてくれました。
最後の1年なんて殆ど脱いでもないですね。若い子達にこのスキルを教えてあげたいのが本音です。身ひとつで危ないですから。

それからまた会社員に戻りました。
プレミアム嬢として稼いでいましたが未練なんて無かったです。
プロ意識をもってやっていたので残ったのは達成感。金銭感覚も崩れて無かったので。
まぁそれからは私は巻き込まれてはいませんが、従業員同士の嫉妬、妬きもち、贔屓、いじめやら色んな人や事を見ましたね。
“一円にもならん事をしてるなぁ”と。

私の人生の出来事

第三章:30代~現在

ブラック企業にも入りました。
6連勤しても割増賃金なし。有給なんて概念は無く、20年働いてる人でも欠勤扱いする有給無しの会社。
6連勤してるのが私だけだったので(給料が安いから他工場でお手伝い)おかしいなと思うのは私だけで在籍しながら労基に行きました。
なので、辞める時有給消化したのが私1号です。外部から人が来ないと麻痺してしまっててみんなそれが普通になってるんですね。
そんな会社でも人が悪いわけではなく、今も『いつでもおいで』と言ってくれる会社です。
最後は人材派遣会社です。
イメージでは『面接→派遣』と簡単なイメージでしたが、とんでもなく大変で、24時間携帯が鳴りっぱなしの様な仕事でした。
私は正社員しか働いた事がないのですが、ここで始めて派遣社員が派遣先で働く大変さを痛感しましたね。
意地悪な御局様がいて『派遣の癖に』とヤジを飛ばされることも経験しました。
これには私がキレて人事と戦いましたが・・・(笑)
そんな人材派遣会社では管理職をしていました。
対応に追われて、24時間追われ過ぎて頭がパンパンになり自律神経失調症になりました。
コロナ前は40度の熱でも2週間働き続ける様な(休まない)経験をしたこともあります。
悪化し双極性障害Ⅱ型にまで。睡眠薬を服用することもありました。
寝てても夢で誰かを助けてるんです。現在克服はしましたが、私の様なパワフルで元気な人でもなりうる心の病なんだと初めて知りました。私は情が深いタイプだからか、人を信じやすくその分裏切りが多かったからかもしれませんね。

派遣なので作業自体は比較的簡単な仕事が多いのに辞める人が多い理由。
それは『対人関係』です。
何度も部署変え、証拠を持って窓口に訴えるという行動をしてきました。
“仕事内容がつらい”という理由で辞める方は殆どおらず、『正社員がべらべら話してる』や『仕事を教えてくれない』などが主な原因、後は殆どがいじめでした。
相談して来る時は既に、我慢に我慢をした後です。私は遠慮なく派遣先を変えるか、退職希望であれば止めたりした事はありません。
なぜなら、そのいじめた人は変わらないからです。

同僚は一生一緒ではないんですけどね。
嫌な人は消えて行くものです。
加害者である社員がいないと回らない会社で、その加害者を容認しているのであれば退職者が出続けるだけです。
残念な会社です。若者を大事にしてほしい、育てれば自分が楽になるのにねなんて思いながらもそうした悩みを持つ人をサポートできるような場所を作り出しました。

現在、私は4人娘の母として生活をしています。
長女は結婚し、幸せに暮らしており、次女は大学3年生、三女は小学生2人です。
うち、2人はギフテッドです。
中学で不登校になり、部活には行くと言うけれど教室には入れないという状況になりました。

40代になった現在、もう最前線でトップセールスマンをやると言うより、
“これまでの経験を活かして色んな事で困っている人に寄り添っていきたい”と考えるようになりました。

友達や親友、夫婦間でも話せない“人に話せない話”。
人生生きていれば、色々あると思います。
カウンセリングをしたクライエント様が少しづつでも前進していってるのを見ると本当に嬉しいです。
心が軽くなりましたなんて素敵じゃないですか。
資格を見て貰えば分かると思いますが、全ジャンル寄り添えます。

ざっとこんなかんじです。
他人軸ではなく自分軸で一度しかない人生楽しんで生きていけます様に皆様に寄り添います。一緒に考えていきましょう。

私の人生の出来事
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